幼少期を思い出してみる①
障害者雇用を専門とする転職エージェントに行くと幼少期とか振り返りながら自分の得意な事や発達障害の診断に至るまでを話します。
正直、ずーっと見て見ぬふりしてたから苦痛です。
田舎から都会に引っ越していじめに耐え抜いた学生時代
卒業後の空白の2年
(この2年は無職扱いですが実際は風俗で働いていた)
10回以上にも及ぶ転職
そしてADHDの診断
ちょっと思い出してみる。
私は目の前や隣が田んぼに囲まれた田舎で幼少期を過ごしました。
母がギャンブル依存症だったため保育園のお迎えは来ないです。
保育園から自宅までが歩いて5分もなかったので信号まで先生に送ってもらい家まで帰るか田んぼのあぜ道を通るという今では有り得ない手法で帰ってました。
姉がしっかり者だったので私も大丈夫だろうと思われたのか翌日の準備など母はしてくれなくてこの頃から1人体操服がない運動会とかしょっちゅうでした。
誰かと遊ぶことはせず絵を書くのが好きな保育園時代
お絵かき帳とペンを握らせたら大人しいと言われてるほど好きでした。
想像力を買われ1年生の時、先生が絵を誉めてくれた事がきっかけで絵が好きになりました。
その先生はとてもいい先生で文字が書けない私を厳しくも優しく教えてくれました。
忘れ物をしたら廊下に立たされるか取りに帰って良かったので気持ち的に逃げ場がありました。
あと学校が綺麗だったので過ごしやすかったですね。
のびのび過ごせていました。
都会に引っ越してくるまでは。
父親の転機を期に都会に引っ越して来ました。
とにかく息苦しかった
まず方言を笑われ忘れ物が多かった。
あと学校が汚いし私服通学で翌日の洋服を選ばないといけなかったから苦痛でしたね…
給食も犬のエサにしか見えなかったが家にご飯がないから仕方なく食べてました。
(その影響で今もあまり食事に興味が無い)
クラスでキツい女の子の隣になってしまい忘れ物わした時に頼んでも教科書を見せてもらえなかったりいじめまではいかないにしても軽い嫌がらせがあったし友達が出来ませんでした。
自閉症の兄が友達が出来ないことを理由に3ヶ月で引っ越しました。
転校してから小学校卒業まで同じ小学校に通ってましたが転校前に比べ過ごしやすかったので割愛。
我が家にエアコン無かったから水泳部に入ったり友達にも恵まれ小学生らしい子供時代でした。
ただ小学校卒業と同時に転校してしまい中学の入学と同時に転校。荒れてるで有名な中学に入ることに…
中学生から完全に詰みました。
魔の中学時代はまた書きます